MENU
建中寺

建中寺 徒歩3分(約230m)

建中寺は、1651年に第二代目尾張藩主の徳川光友が、父である藩祖の義直の菩提を弔うために建立。
それ以後、尾張藩主の菩提寺として永い時を重ねてきました。
県指定有形文化財に「徳川家霊廟(御霊屋)」、
市指定有形文化財に「本堂」「経堂」「開山堂」「鐘楼」「総門」「三門」「御成門」「源正公廟」、
「徳興殿」は国登録有形文化財に指定されています。
「ブライムスイート建中寺」は、名古屋市の誇りとなり、由緒正しい建中寺の境内だった、得難き地に構えるレジデンスです。

※写真はすべて建中寺です。

建中寺の歴史を、村上真瑞住職にお聞きしました。

中寺は、徳川義直の菩提を弔うために建立されました。1950年に義直が亡くなり、お葬式をあげられたのは山口町(東区)の相応寺で、それは、義直の母の菩提寺です。しかし、そのお寺を尾張徳川家の菩提寺とすることはできないので、義直の長男である光友公が、義直が亡くなった1年後に建中寺を創建しました。それ以降、名古屋城主は建中寺に葬られ、お位牌も御霊屋に納められています。
建当時の建物で現在も残っているのは、「総門・三門」 です。それらは、1785年に北区の杉村で起こった大火事にて、火のついた布団が風で飛ばされて本堂に巻きつき、炎上・焼失してしまうことがありました。
かし、火事から二年後には、尾張藩と当時の住職の尽力によって再建されました。そして、万が一、同じような大火事が起こったとしても、祖先の安らかな眠りを妨げないようにと願いを込めて、本堂の屋根には簡単に火がつかないよう銅板が貼られました。時が経ち、第二次大戦の空襲からも逃れることができました。これは御本道様の霊験のおかげかもしれません。そんな、永い時の中で、災害などを迎えながらも耐え、再建して遺されてきた建中寺は、尾張徳川家や市民の皆様にとって、いかに大切な存在で、親しまれてきたかを物語っています。
>建中寺 村上真瑞 住職

建中寺
村上真瑞 住職

創建当時は、現在の5倍の敷地だった建中寺。

江戸後期の周辺地図

江戸後期の周辺地図 (出典:Network2010)

現在の周辺地図

現在の周辺地図 (出典:Network2010)

※黄色いゾーンが建中寺の創建当時の敷地
=ブライムスイート建中寺の立地

現在の建中寺の境内はおおよそ1万坪で、創建当時は5万坪もありました。
南は建中寺公園の総門まで、東は現在の東海高等学校・中学校の方まで、
西は東警察署からあずま中学の北西角まで広がり、
中学校の西側と北側には、現在も石垣がそのまま残っています。
徳川宗春公のお墓は、あずま中学校の東北にありました。
歴代藩主の墓は、おおよそ中学校の敷地になっています。
「ブライムスイート建中寺」は、かつて建中寺の境内だった、
由緒正しい歴史と記憶が刻まれた地に誕生します。

あずま中学校の西側に遺された、建中寺創建当時の石垣。

※掲載の建中寺の写真および、石垣写真は2018年10月・11月に撮影したものです。
※表示距離は現地からの地図上の概測です。徒歩分数は80m=1分として算出し、端数は切り上げております。

資料請求 来場予約 現地案内図 TEL
pageTop